ピンクレディーが大好き

1976年 埼玉県寄居町で生まれ、2人姉妹の姉として育てられました。

父は大工、母は専業主婦。

 

父が絵に描いたような亭主関白で家族全員に「出ていけ!」が日常でした。

家を飛び出した母を追いかけて連れ戻したこともあり、

いつもビクビクしながら過ごしていました。

 

原因不明の体調不良が多く、保育園をよく休んでいました。

体も小さく、離乳食のときから小食の偏食。

母は、栄養のバランスを考えることは諦めて、

私が口を開けるものだけ食べさせたそうで、

私が食事を嫌いになることはありませんでした。

 

ピンクレディが好きで、よく台に上がって歌って踊っていたらしい。

本を読むのも好きで、家中の本を順番に読んでいました。

4歳下の妹が生まれたのはうれしいことでした。

 

ピアノは年長のときに、母の勧めでなんとなく始めました。

個人教室の先生で、完璧に弾けないと丸にならないので、

レッスンはあまり楽しくありませんでした。

 

寄居町立桜沢小学校に入学。

歩いて30分かかる距離でしたので、体力がついたのか、

欠席は少なくなりました。

 

小2のとき、楽しくなかったのでピアノレッスンをやめることにしました。

でも、家で毎日ピアノを弾く私に、母が別の先生を探してくれて、レッスン再開。

音大生の若い先生で、いつも「上手ね、音大に行けるね」と言ってくださっていたので、

だんだんと専門の道を考えるようになり、

その先生には高校生まで習いました。

 

体も小さく大人しかったせいか、

物を隠されたり、いじわるなことを言われたりすることも多く、

泣いて帰ると、母が気づいて言いつけてくれたのですが、

「私が泣いて帰ったせいで、友だちが怒られちゃった」と

自分のせいにしてしまう自己肯定感の低さがありました。

 

自分の居場所を探す

常に自分の居場所を探していたようで、

没頭して、自分の世界に入れる活動が好きでした。

 

すると次第に、成功体験が出てきます。

 

硬筆や夏休みの貯金箱の工作で選ばれたり、

作文、詩でもよく選ばれました。

九九の暗唱で一番になったり、徐々に能力が開花していきます。

 

給食を残すことをクラスで責められていたとき、

担任の先生が、

「真弓ちゃんは、給食は全部食べられないけど、

 九九の暗唱は一番でしょ?

 みんなそれぞれ、得意なことと苦手なことがあるのよ」

と言ってくださったことは、今でも心に残っています。

 

作曲の原点

ピアノ伴奏も担当し、

活躍の機会が増えると、いじめも減っていきました。

 

普段から、自作の鼻歌を歌っていたのですが、

小学校高学年で、友だちの作ったおかしな詞に

私がおかしなメロディーをつけるということをしていて、

今から思うと、これが私の作曲の原点。

 

家の中は相変わらずで、「私はいらないんだ・・・」

そんな思いが頭の中をぐるぐる・・・

ここが私がなかなか自己肯定感が上がらなかった要因だったと思います。

 

女の子っぽくするのも嫌で、

髪の毛は短く、ピンクやハート、リボンなどは身につけませんでした。

 

家族みんな動物が好きだったので、

イヌ、ネコ、クジャク、九官鳥、ハムスター、リスなどがいて、

その子たちと遊ぶのは楽しい時間でした。

 

おニャン子クラブに入ると勝手に決めて、家に帰ると妹と歌ばかり歌っていました。

何かあれば姉妹で支えあっていました。

 

寄居町立寄居中学校に入学。

中学に入ると急に勉強が面白くなり、気づけば常に学年で2~3位。

吹奏楽部でアルトサックスを担当。副部長になりました。

のんびりした部活だったので、勉強やピアノとの両立は大変ではありませんでした。

 

合唱コンクールの伴奏が毎年楽しみで、毎年積極的に挑戦。

続けていくと、どんどん音楽が好きになり、

歌いながら伴奏を弾いたり、妹とハモって歌ったりと楽しみました。

 

リーダーシップは苦手でしたが、

投票で選ばれ、学級委員も毎年引き受けていました。

でも、生徒会だけは絶対嫌で逃げ回る・・・

 

得意科目は数学。

夏休みの自由研究が毎年楽しみで、しゃぼん玉の表面張力の実験をして賞をもらったことがあります。

ワープロが欲しくて、親にねだって買ってもらい、

このころから独学で使ってきました。

 

休み時間は本を読んで過ごすことも多く、

図書館が大好きでした。

 

学級委員の活動を通して、先生に対して、はっきり意思を伝えられるようになったのはよかった。

 

そのせいか、いじめられることはなくなったけど、

男の子と話す度、冷やかしが多くて3年間辛かった。

父の影響で、もともと男の人が苦手だったのだけど、

この出来事で、より苦手意識が強くなってしまいました。

 

埼玉県立松山女子高校

進学校である埼玉県立松山女子高校に合格。

志望理由は、「セーラー服が着たい!」。

成績から、もう一つ上の高校を先生方からで勧められたのだけど、

もちろん、先生にはそんなことは言えなかった・・・

 

吹奏楽部に入り、アルトサックスを続ける。

ハードだったので、自主的に休みを取ったり、楽しむことを提案したりしていました。

コンクールレギュラー選抜で顧問の先生の理不尽さがあり、

それも許せなかったし、先輩の思いも無駄にしたくなかったので反抗しましたが、

受け入れてもらえませんでした。

2年生でコンクール課題曲のサックスソロを担当。

吹奏楽でたくさんの音楽に触れられたのは、今でも大きな財産です。

 

高校生クイズ

女子高のグループ行動になじめず、唯一の仲良しの友人は中退という孤独感がありましが、

後輩に慕われて救われました。

後輩とは、池袋までピザを食べに行ったり、

ピノキオの衣装を作って、高校生クイズに参加したりしたりと、

いい思い出があります。

 

授業は難しくて、ついていくのに必死だったけど、

授業中にぼんやりしながら短歌を作るのにはまっていて、

それが今の作詞につながっていると思います。

 

「アラジン」でディズニーにはまり、
それ以降の映画は、その当時、台詞も歌も覚えてしまったほど。

 

夢は発表会企画

高3になって音大の先生のところに行ったので、「あなたに行ける音大はない」とバッサリ言われました・・・

他の進路も考えましたが、やはりピアノが好きだったので、

先生にお願いすると、尚美学園短期大学の先生を紹介してくださり受験。

 

このころ、ピアノ発表会の一人ずつ順番に弾くスタイルでは、

知らない子が順番に弾くだけでさみしいなと思い、

「ピアノの先生になったら・・・」と自分で企画した発表会を思い描いていました。

 

尚美学園短期大学→東京コンセルヴァトアール尚美

高校時代は、部活を休まないとピアノが弾けなかったので、好きなだけ弾けることが楽しかったです。

高校生までは、人前で弾くのも楽しくて、緊張することはなかったのだけど、

受験のときに初めて緊張を知り、卒業するまで本番の演奏に苦戦する。

 

試験でもうまく弾けないことが多かったのだけど、

短大の卒業試験で、自分でも驚くくらいよく弾けたら、
バッハとリストの2曲とも卒業演奏会に選ばれるという奇跡的な出来事が起きる。

卒業演奏会に出演。大学主催のサロンコンサートにも出演。

 

短大で、中学校音楽教諭の免許を取得。

教育実習の音楽の授業で、ひとりひとりに合わせた内容ができないことが残念に思い、

ピアノ講師の道に決める。

 

卒業後研究科(東京コンセルヴァトアール尚美)へ。

ソロだけでなく、連弾、2台ピアノ、伴奏、コンチェルトなどを経験。

尚美は、パソコン、DTM、ピアノ教材研究などの授業が面白くて、私に合っていました。

ヤマハグレードの授業もあり、5級(演奏・指導)を取得。

エレクトーンにも興味を持ち、2年ほどレッスンに通いました。

 

社会人 

4年次でタニタ楽器個人レッスン講師に採用され、深谷センターを担当する。

卒業後、午前は工場でアルバイトをしながら、

午後は自宅教室とヤマハ個人講師(深谷センター、寄居センター)。

勉強したいことがたくさんあって、昼食を我慢して、電車賃と受講料などを捻出していました。

 

これまで受講した主なセミナー・勉強会

 

バスティン研究会(東京・高崎)  

東京教材研究会

アルフレッド 連続セミナー(熊谷)

ミュージックキー 連続セミナー(熊谷)

ピアノランドセミナー

樹原涼子コード塾第1期

ピアノランド勉強会(熊谷) 

コーチングセミナー 連続講座 

ボディマッピング 

アンドーヴァー・エジュケーターコース

ピアノランド勉強会(池袋)

モーツァルト&バッハ勉強会

樹原涼子コード塾第5期

石川芳ピアノ・アレンジ講座

コンフォータブル パフォーマンス メソッド

スケール・モード・アルペジオ勉強会(熊谷)

ピアノ経営塾第7期

 

ヤマハグレードも演奏・指導4級を取得。

 

20代前半〜

妹ととオシャレをして、渋谷・原宿に出かけていき、

ファッション誌に載せてもらうために、

雑誌の撮影会に参加したり、ウロウロして声をかけられたりして、

2回載せていただいたことがあります。

 

これまでの本、動物(主にネコ)、ディズニーの趣味に加え、

毎週のようにカラオケに行くようになり、

カラオケの点数がどんどん上がっていく!

それまで下手だと言われていた歌が、うまくなっていく。



高校生のころ思い描いていた自宅教室のはじめての発表会は、
生徒6人の小さな発表会でしたが、

生徒が弾く曲をつないで、私が物語を書いてナレーションしたり、

プリクラ付きのプログラムを作ったり、

6人全員でアンサンブルをしたり、

当時は珍しがられた企画でした。

 

怖い先生

でも、ピアノ講師になって数年は、練習しない生徒に対して、

とっても怖い先生でした・・・

 

音楽は楽しむ前に

「努力と根性だ」と本気で思っていました・・・

 

それは、私が大学受験の時に経験した

人前で演奏する緊張感から抜け出せなかったばかりか、

講師という立場になって、

生徒やお家の方の前で演奏するというプレッシャーで、

演奏に自信のない自分を、さらに自分で追い込んでしまっていたからでした。

 

ピアノランドのカウンセリングレッスン、

そして、コーチングに出会い、

自分が間違っていたことに気づいたのです。

 

カウンセリングレッスン

生徒たちが何を感じているのか、

どう弾きたいと思っているのかを

問いかけたり、観察したりして、

 

先生のペースや教えたいことではなく、

生徒のペースや生徒が求めていることを

一緒に考えていくレッスン。

 

コーチング

生徒の話をじっくり聞く「傾聴」や、

答えは「相手の中にある」ということを学びましたが、

一番は「存在承認」でした。

 

練習をがんばった、

約束を守った、

上手に弾けた、などの結果を褒めるのとは別の

 

「その子がそこに存在していること自体が素晴らしい」という概念で、

 

「今日はあなたに会えてうれしい」

「あなたの演奏が聞けてうれしい」

「あなたには、こんなすてきなところがあるね」

ということを伝えていくと、

 

生徒たちも、レッスンの中で楽しそうな表情を見せることが増えました。

 

私も、練習をしない生徒たちが、何に困っているのか、
本当は何をしたいのかを考えられるようになりました。

 

「ムジカノーヴァ」に連続掲載

存在承認で起きた生徒たちの変化は、

雑誌「ムジカノーヴァ2010年4月号」に掲載されました。

 

前年の「ムジカノーヴァ2009年11月号」には、

月1回行っているグループレッスンの取材を受け、

5ページに渡って掲載していただきました。



20代後半で、ヤマハ20人、自宅30人に増えました。

生徒たちに恵まれるうちに、私の自己肯定感も上がっていきました。

この頃、自閉症の男の子のレッスンもする。



大好きなピアノがあって、

かわいい生徒たちがたくさんいて、

それ以上に望むことはなくて、

 

もともと男性が苦手だったので、

結婚もするつもりはなかったのですが、

 

結婚をさせたい父と毎日のようにケンカをして、

それに疲れて自分を見失っていたところで出会いがあり、30歳で結婚。

 

結婚を機に、ヤマハを退任して、

その時間を使って、

さまざまな勉強ができたのは大きな収穫でした。

 

ムジカノーヴァ掲載のブログ

●「ムジカノーヴァの取材」2009.9.12

https://blog.goo.ne.jp/mammifff/e/1bdd035a300f12682afc2896053fa712

 

●「ムジカノーヴァ11月号」2009.10.20

https://blog.goo.ne.jp/mammifff/e/1b1de47abd015135f00788e24f8d8500

 

●「ムジカノーヴァ 第2弾」2010.3.19

https://blog.goo.ne.jp/mammifff/e/e41e189bacbb258b4245fbc8436b3fa7

 

DREAMS COME TRUEのミュージックビデオに出演

このころ、カラオケで歌い続けてきた

DREAMS COME TRUEの「今日だけは」のミュージックビデオ撮影に

選ばれるというラッキーなことがあり、妹と出演しました。



●DREAMS COME TRUE「今日だけは」2006年

※2:20辺り

 

寄居教室・熊谷教室

32歳で、夫の実家に家を建てて、グランドピアノを自宅に購入。

熊谷教室も開き、寄居と2つの教室を行き来しながら、

幸せな人生を夢見て、新たな地で生活が始まったのですが、

 

リーマンショックの影響で、夫の収入は半分になり、

私も生徒が減りました。

 

そのための節約生活、

子どもができないこと、

年上の先生たちをまとめること、

そして、義母から、どれだけ私がダメな人間なのか毎日のように説教をされて、

「そうなんだ、私はダメな人間なんだ。

 これまで、いろんな人たちに言われてきたうれしい言葉は、みんな嘘だったんだ」と

自分自身でも何倍も自分にマイナスな言葉をかける日々。

自己肯定感は最低でした。

 

人間不信

結婚前に夫や両親と話していたことは、

夫の実家に行ってから正反対のことが言われるようになり、

騙されたように感じて人間不信に陥りました。

仲良くしていた友人のことも疑うようになりました。

 

大好きな音楽も聞けなくなり、

体調が悪いときでも気分転換になっていたピアノも、

ついに弾けなくなってしまった。

 

鬱でした。

 

家事も食事も寝ることもできなかったけど、

唯一できたのが、生徒たちとのレッスンでした。

 

生徒たちに会って、生徒たちの音楽を聞くと、

少し元気になりましたが、帰り道は帰りたくなくて号泣しながら運転して帰っていました。

 

そのとき受けていたコーチングのセッションで

そんな話をすると、

「真弓さんにとって、一番大切なのは音楽でしょ?

 もう一度、音楽を聞いてみたら?」と言われました。

 

「すべての答えは自分の中にある」

コーチングでは「すべての答えは自分の中にある」とされています。

 

頭の中がうるさくて聞けなかった音楽と、

私が鬱から脱出する答えが結びついたのです!

 

「すべてが嫌になって死ぬことばかり考えていたけど、

 そんなことをするために、ここまでがんばってきたわけじゃない!

 私には音楽でやりたいことが、まだまだあるんだ!」

 

まさに雷が落ちた瞬間でした。



そのとき感じた音楽の絶大なパワーを

もっと伝えられるようになりたいと思うようになりました。



美しい満月から音楽が聴こえる

鬱に入っていく途中、33歳のとき、

美しい満月から音楽が聴こえるという体験をしてから、

作曲ができるようになっていたので、

作曲と演奏を磨くことにのめりこんでいきました。

 

鬱に気付くのが早かったので、

34歳の時には、鬱は抜けていきました。

 

作った曲がどんどんたまっていくと、

誰かに聞いて欲しくて、「まっみ」というアーティスト名でコンサートを開き始めました。

 

これまでの演奏活動

 

2011年 自主コンサート(熊谷)

ヨガスタジオ楽曲提供

2012年 自主コンサート(熊谷・池袋)

 高校演劇部ミュージカル曲提供

2013年 自主コンサート(熊谷・神戸)

         楽曲提供 個人・お祝い

2014年 自主コンサート(池袋・熊谷)

おうちサロン大(Big)マーケット2014(浦和) 演奏依頼

楽曲提供 着信音・個人

2015年 自主コンサート(草加・熊谷・寄居)

        ビアマルシェvol.2(群馬県太田市) 演奏依頼

NPO法人うりんこくらぶ

「ハンディキャップのある子どもたちの子育てを共に考える会」 (久喜)演奏依頼

深谷市高校演劇部ミュージカル曲提供 

ダウン症の親の会「いちごの会」コンサート(東松山)演奏依頼

NPO法人うりんこくらぶ「絵本から聴こえるコンサート」(加須)演奏依頼

ラヴィス・ヴィラ・スイート(深谷) クリスマス ランチ コンサート 演奏依頼

2016年 自主コンサート(深谷・寄居・神戸)

NPO法人うりんこくらぶ

「ハンディキャップのある子どもの子育てを共に考える会」(久喜)演奏依頼

楽曲提供 NPO法人うりんこくらぶ

NPO法人うりんこくらぶ「絵本から聴こえるコンサート」(加須)演奏依頼

2017年 Piaceri in Prunus vol.5(東松山) 演奏依頼

脱力ピアノリフレ(寄居)

ピアノウタ×ベリーダンス(熊谷)

NPO法人うりんこくらぶ

「ハンディキャップのある子育てママのための座談会」(久喜)演奏依頼

楽曲提供 NPO法人うりんこくらぶ

        NPO法人うりんこくらぶ

「キッズアートプロジェクト2017 CD完成記念コンサート」(川島町)演奏依頼

        まっみピアノ弾き語りCD  「きみのにわ~ハンディキャップキッズと出逢った

すべてのママに贈る~」発売

NPO法人うりんこくらぶ

「Fairy tale Christmas by copain 2017」(久喜)演奏依頼

2018年 自主コンサート(寄居 大人向け、子ども向け)

ママノワ「子どももママも音楽を楽しむ時間」(嵐山町)を担当

「絵と羊毛と音楽の世界」(久喜)演奏依頼

               

極度の緊張

それまでは、極度の緊張で人前で弾くことができなかったのですが、

何かに感動して作った自分の曲だと不思議と緊張しないのです。

 

自分のことを、ダメな人間と信じ込んでしまっていたけど、

作曲・演奏活動をする中で、自分で自分のことが認められるようになり、

自分が大好きに!

35歳、新しい人生が始まる。

 

生徒がピアノランドフェスティバルの作曲部門入賞

グループレッスンで、生徒たちに作曲のレッスンも始める。

次第に、自分の作った曲を報告してくれる子が出てきて、

ピアノランドフェスティバルの作曲部門に応募すると、

2013年と2017年に生徒が選ばれ、ステージで自作曲を演奏しました。

 

●ピアノランドフェスティバルに出演した生徒の動画

 

 

その時の様子は、「ムジカノーヴァ2013年10月号」や

ピアノランドのホームページに掲載されました。



これまでの経験や勉強から、

「人前で演奏を楽しむ〝殻破り会”」(熊谷、池袋、小金井)

「先生がいちばん楽しむ発表会サポートセッション」

「ピアノの先生のためのレッスン」を始める。

 

ピアノの先生から、演奏時に緊張しない体の使い方やコードなどの相談をよく受けるようになり、

37歳の時、ピアノの先生向けの「ピアノレッスン研究会」を月1回開講。



NPO法人「うりんこくらぶ」

自閉症の男の子のレッスンをしてから、

障害を持つ子どもたちへの支援に興味がありました。

私の大好きな音楽で、誰かの役に立てたらうれしいな・・・

 

そんな気持ちをSNSに投稿し、

38歳のとき、NPO法人「うりんこくらぶ」に出会う。

 

翌月には、障害を持つお子さんのお母様たちのためのイベントで、

オープニングとエンディングの演奏を依頼される。

聴衆は10人くらい。

 

その時にダウン症の女の子も参加していて、

ピアノを触ってもらうと興味津々でかわいかった。

これが発端となり、年に2〜3回は演奏依頼をいただくようになりました。

 

まっみオリジナル曲

『きみのにわ』を気に入ってくださり、

何度もピアノ弾き語り演奏させていただきました。

 

うりんこくらぶの根崎由美さん作詞の歌も2曲制作。

 

『たからもの』『あの山をこえて』

 

うりんこくらぶ、根崎由美さんの協力により

その3曲のピアノ弾き語りと、1曲のピアノソロ曲を収録したCDを発売する。

 

『きみのにわ~ハンディキャップキッズと出逢ったすべてのママに贈る~』

 

 

まっみピアノ弾き語りCD


http://mammi.petit.cc/0engine/tokyo_bbs.cgi

再び・・・圧力

仕事は順調だったけれど、

夫の実家に引っ越して6年、義母のいじめは年々エスカレート。

子どもを望んでいたけれどできないでいた私に

「子どもを作らないで、この家をつぶす気?

 そんな人はいらない。新しい嫁を探しているから、いつでも出て行って。」と。



このころ、日本おうちサロンマップ協会との出会いがあり、

運営に関わることになる。

 

家では、役立たずだった私を必要としてくださり、

お役に立てることがありがたかった。
異業種の方との出会いもたくさんあり、活動が広がりました。



熊谷教室をなんとか続けていけないかと、

いろいろ考えて試したのだけど、受け入れられることはなく、

泣く泣く熊谷教室の生徒たちを手放し、

39歳で寄居に戻る。

 

生徒15名。合間にバイト生活。

これからどうやって生きていこうか、

ピアノ教室は諦めたほうがよいのか悩んでいたとき、

 

「音楽の本質をたくさんの子どもたちに伝えたい!」と覚悟を決める出来事があり、

 

その後、2年ほどで41名に増える。

演奏依頼も増え、音楽にあふれた日々に心が満たされる。

 

このころ、動物好きが高じて、動物とお話をするアニマルコミュニケーションも学ぶ。

 

友人に誘われて行ったHANANINGENでテレビ取材があり、

ニュース番組にインタビューや撮影風景が放送されたこともありました。



自分を丸ごと大好きに♪

子どもが、この世に生まれてくるのは奇跡的なことで、

そんな子どもたちとピアノ教室で出会えることに

ご縁を感じています。

 

性格や能力ばかりに目が行きがちな世の中で、

子どもたちは苦しい思いをしているかもしれません。

 

学校などの決められたカリキュラムの中で、

狭い思いをしているかもしれません。

 

子どもたちが、オンリーワンの個性を、

音楽でのびのびと発揮して、

みんなに認められ、心が満たされて、

自分を丸ごと大好きになってほしいと思いながら、

 

ピアノレッスンをしています♪



「たからもの」を共作したNPO法人うりんこくらぶの由美さんに誘ってもらって、

「HANANINGEN 花人間」という写真撮影に行きました。

 

ステキなお花がたくさんある中で、気に入ったものを1輪選び、(私は緑に紫の縁取りのラナンキュラス)頭にお花を活けていくのです。

 

メイクもバッチリしていただいて、ステキなお花も乗って、高貴な気分で撮影。

 

この日、偶然にも「ワールドビジネスサテライト」の取材が入っていて、インタビューを受けたところや、2人で撮影中に爆笑しているシーンが、後日テレビで放送されました!

 

 

その日選ぶお花で、その人のひととなりが分かるというお話を聞いて、音楽も同じだなぁと思いました。